保護者会
娘の高校で三年生を対象とした保護者会がありました。内容はもちろん大学受験に関するものです。
そこで、気になった事が二点ありました。
1.先生方のお話の中で、「させていただく」と言う表現が幾度と無く出てくる事です。
特に、校長の話はひどかった。内容も単なる自慢話。ありゃバカ校長だわ。
保護者に対して丁寧さを出すために「させていただく」を使用されているのは理解できます。しかし、私は、どうしても慇懃無礼さを感じてしまいます。”保護者会を始めさせていただきます。” ではなく ”保護者会を開催いたします。” で良いではないですか。
そもそも、「させていただく」は浄土真宗と関係がある言葉のようです。この宗教においては、「阿弥陀如来が、絶対他力 他力本願をもって人間を浄土に連れて行ってくれる。」となっているそうです。つまり、本人が望む望まないに係わらず、阿弥陀如来の力でもって浄土に行かされる。だから我々人間は、阿弥陀如来に「この現世に生かさせて頂いている」、「浄土に行かせて頂く」事に感謝して、お念仏を唱えましょう。と言う事の様です。ですから、「させていただく」は阿弥陀如来に対してのみ使用する表現だと言うことです。(元ネタは、司馬遼太郎さんの随筆。タイトルは忘れてしまった。)
よって、本来、阿弥陀如来に使う言葉を我々のような凡人に対して使用することに慇懃無礼さを感じてしまうのです。
2.先生方は団塊の世代であり、競争世代である事を実感。
団塊の世代の特徴は、人数が他の世代と比べて圧倒的に多いという事です。人数が多いという事は何をするにしても激しい競争を伴う。と言うことになります。
良い高校に入る → 良い大学に入る → 良い会社に入る と言う流れにおいて、少しでも良い所を狙う事が競争に勝つ事なのです。
ですから、受験指導においても、「少しでも良い大学に合格させる為の戦略、戦術」になっています。
ある先生がお話されていましたが、今の世の中は学校生活が甘くて、社会生活が厳しい状況である。だから、学校を出た後社会人になって初めて現実の厳しさに直面しうろたえる若者が多い。しかし我々の世代は比較すれば、学校生活までが厳しく、社会生活の方が甘かったので、今の若者のようにうろたえたりはしなかったと。
そして、今年、文学部志望の男子生徒が多数いる事に驚きを示されていました。つまりは、良い大学の文学部を出ても良い会社には入れないと言う事になると。
団塊の世代の人達が一所懸命に働いたお陰で、日本は経済的に裕福な国になり、働かなくても食べていける世の中になりました。だから男子生徒が文学を学ぶ事が出来る。それでも食べていける国になったのです。
このような状況では、良い高校に入る → 良い大学に入る → 良い会社に入る と言う団塊の世代のパラダイムは最早崩れているのではないでしょうか。
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