金曜日, 4月 18, 2014

確かに街歩いていて気になった

確かに街歩いていて気になった Tシャツにシャツの重ね着
http://matome.naver.jp/odai/2136239953823462101

水曜日, 11月 29, 2006

島谷さんのコラム セイコー創業家CEOの追放と正論

島谷さんのコラム
セイコー創業家CEOの追放と正論
「脱・技術依存」の警鐘も悪役の解任とともに消え失せるのか?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061124/114351/

はとても面白かったです。並のIT関係の記事よりも面白い。

メディアは、追放されたCEOを、負け犬のように寄って集って叩きます。追放された純ちゃんの発言を正論として取り上げた谷島さんの公平な精神が凄い。

追放されたCEOだから、彼が係わった事柄全てを否定するのではなく、正しい事は正しいといえる事は凄いですね。これが、事実が意見かは別として。

土曜日, 11月 18, 2006

検査入院

 11月17日、18日と検査入院しいていた。
 肝機能が良くない、良くない原因が分からない、よって生体検査して原因を調査が今回の検査入院の趣旨である。
 実は私は今まで入院した事が無く不安一杯の気持ちであった。
 入院手続き終了後、ざっと検査のあらましとそれに伴うリスクの話があり、同意書に署名する。同意書は思わぬ事態が発生した場合、それに対する処置を行う事への承諾であった。
その後血液検査をし、そのまま針をつけたままで、点滴が施される。点滴を行うのは、何かあった場合直ぐに緊急処置(薬の投与など)が出来るよう、投与口を確保する為のようだ。
 いよいよ、担当医がエコー装置で肝臓をスキャンし、針を刺す場所を探す。そこから針を差込み肝臓の生体を取り出す。その間たった3秒ぐらい。
 その内容に比べ前段の用意は大げさすぎる位だが、これももしもの為の安全対策なのであろう。
 以上の様に全ては順調に終わったが、実はここからが大変であった。大変と言うのは、不足の事態が発生したのではなく、針を刺して肝臓の一部を取り出したわけだから、私の体には相当な負担がかかっている。回復させる為に体を横にして、傷口を下にした状態で6時間絶対安静状態を保たなければならない。要するに、その間動いてはいけないのである。そうする事により、傷口も閉じ、体も機能回復するのである。その間は当然、点滴はついたままで、軽い痛み止めと点滴液が施されている。
 その間のトイレはもちろん尿瓶を使用することになる。誰がするのかは当然看護師がおこなうのである。私も尿を我慢していたが、こらえきれずナースコールボタンを押してしまった。出る事出る事800ccぐらい出ただろうか。「一杯出ましたね」と言われ気恥ずかしい思いをしたわけである。何とか6時間を我慢したが、体を変な体勢で長時間保っていた為、腰と肩に相当な負担がかかり、まだ痛い状態である。
 6時間経った後は、点滴もはずしてもらい、普通の体勢を取って良くなったが、要経過観察と言う事で1晩お泊りしたわけである。
 と言う事で、私の検査入院は終了した。

金曜日, 8月 04, 2006

一人で生きていくと言うこと

以下は、【トナメ~ル】女ひとりの危機を脱出する? からの引用です。

引用開始------------------------------------------------------

前にトナメ~ルで紹介した目が縦についている、女の仮面を被った魑魅魍魎?の最近のコラムの題名です。またとんでもない話かと、怖いもの見たさ興味津々で読みました。

東京のマンション暮らしを、ホテル暮らしに変えることにし、マンションにある家財道具一式の処分で、運ぶ腕力がない一人暮らしの女の自分が著しく困惑した時、リサイクルセンターに電話したら、親切にも全てやってくれて、大感激した。

そんな詰まらん話でした。でもさすがフェミニズム闘士の面目躍如!
「腕力がないひとり暮らしの女」のどうにもならない手痛さは、離婚したいのに経済力がないため、夫から離れられない女の恐怖を想像したとか。

女より少し腕力のある男も殆ど同じですから、リサイクルセンターや便利屋に頼むのが普通です。「腕力の有無だけが差!」だと言うのもツッパっていますし。ツッパって生きてきたから、そんな有り難味に異常に感激興奮しています。「離婚したいのに経済力が.......」も怨念のようです。男女に関わらず「会社を辞めたいけど.....」ってありますね。不承不承だけど、生殺与奪の権限を誰かに握られて生きて行くのが、社会的生命体である人間です。

「一人で生きる」というよりも「女一人で生きねば!」に異常に強い脅迫観念があります。肩を怒らせず助け助けられて生きて行く素直な人生を選べば、どんなにか楽になり、人生や人が見えてくるのに。そんな時、目は縦から横になり魑魅魍魎から「女」に戻ります。何かかわいそう。「女が一人で生きる」へ邪魔や抵抗勢力は彼女にとって全て邪悪です。

騒音オバサン、ゴミ人間、自分の排泄物を煮るオヤジ.....皆同類です。人間は社会的生き物であり、一人では生きられないのです。迷惑をかけることもネガティブではあるがコミュニケ-ションであり、社会からかまってもらいたいのです。本質的には寂しいのです。

---------------------------------------------------------引用終了

 最近、「一人で生きていく」とはどんな事だろうと考えている。
 例えば今まで一緒に住んでいた身内と離れて、「一人で住んでいる」 のと 「一人で生きていく」 は別の事では無いだろうか。
誰かの世話を受けて生活する事。その事は、その人にとっては当り前の事であり、当然の事と思っている様な勘違いをしている場合、そのような人が「一人で生きていく」と言った時、それは「一人で住む」と言う意味でしかないのではないか。
 誰かが何がしかの手助けをしてくれるのは当り前とし、そうでなければ不機嫌になる。また誰かの犠牲の上に、私は「一人で生きている」と思いこみ、「一人暮らしをする」するのだろう。

金曜日, 7月 21, 2006

企業の社会的責任

「企業の社会的責任」とは、
社会に対して悪しきことをしないことではない。
社会に対して良きことを為す。それが、企業の本来の責任である。

 このような事を書いた後、パロマの事件が発生しました。

 経営者は、責任は無いと言いました。
まさに、これは「社会に対して悪しき事をしない」と言う視点からの発言です。
「社会に対して良き事を為す」と言う視点から観たら、とてもそんな事はいえない筈です。
原因は何であれ一酸化炭素中毒死を発生させた事は、「社会に対して良き事を為す」の否定ですから、経営者は潔く責任を取るべきだったのです。

水曜日, 7月 12, 2006

いいもの見つけた 日本型CSRの思想

いいものを見つけました。

日本型CSRの思想
http://www.sophiabank.co.jp/archives/csr200603.pdf

引用開始---------------------------------------------------------
「企業の社会的責任」とは、
社会に対して悪しきことをしないことではない。
社会に対して良きことを為す。それが、企業の本来の責任である。
---------------------------------------------------------引用終了


「21世紀に生きる君たちへ」 司馬遼太郎から
君たち、君たちは常に晴れ上がった空のように高々とした心を持たねばならない。同時にずっしりとした足どりで大地を踏みしめつつ歩かねばならない。

火曜日, 7月 11, 2006

功名が辻を見て考えた事

 日曜日にNHK大河ドラマ 功名が辻を見ました。

 山之内一豊は幕末に「坂本竜馬」を生む風土環境を土佐に育んだ。この事だけが、山之内一豊を歴史的に評価できる唯一の事である、と私は思っています。
 山之内家は関ヶ原の戦い以前は、遠州掛川の4万石足らずの小大名でしかありませんでした。関ヶ原では徳川方に付いた為に、その褒賞として土佐24万石の大名になりました。
 元々土佐は長宗我部氏の領地であり、そして独特の制度である 領民皆兵制度 一領具足 がありました。つまりは農民一人一人が我々は皆長宗我部侍であると言う意識を持っていた訳です。関ヶ原の戦いで、豊臣方に組した長宗我部は取り潰しになってしまいました。長宗我部侍は、ただの農民になってしまったのです。
 そんな中、山之内家は土佐に入府します。元々4万石でしたから4万石に似合うだけの侍しかいませんでした。今度は24万石ですからそれにふさわしいだけの侍を調達しなければなりません。
本来、土佐に4万石規模で入府した後、無職になった長宗我部侍を再雇用すればよかったのですが、山之内家は長宗我部侍の抵抗を恐れて(長宗我部侍は勇猛果敢な野武士として有名であった)、24万石の陣容に合うよう侍を大阪で調達し、体制を整えて土佐に入府したのでした。そして長宗我部侍を農民として扱い、彼らの侍としての誇りを斟酌しませんでした。長宗我部侍への恐れがそのような事をさせたのかもしれません。
 この事により、長宗我部侍は江戸時代を通して山之内侍に反目し、長宗我部侍(農民)のお上に対する抵抗心を長い年月をかけて醸成していきました。この醸成された気分の最も清澄の部分が坂本竜馬ではないかと思います。
歴史に「もし」はありませんが、もし長宗我部侍を現地採用していれば、山之内侍と長宗我部侍(農民)の対立は起きず、よって坂本竜馬の登場も無かったのではと思います。

 話は、変わりますが今週の功名が辻は、秀吉と柴田勝家の戦いである賤ヶ岳の戦いでした。この戦いで柴田勝家は滅びるのですが、その妻であるお市の方も勝家と共に自害してしまいます。秀吉としては、お市の方は憧れの人でありいつか手に入れたい物でした。しかしお市の方は”秀吉が大嫌い”である事が良く知られています。秀吉=猿->醜い者->絶世の美女、お市としては決して受け入れることが出来ない者 と言うところでしょうか。秀吉は家臣に救出を命じますが、結果的にはお市の方の拒否に会い、三人の娘(茶々 初 江)のみが救出されました。
 茶々は後年秀吉の側室となり、秀頼の生母として生き、最後には豊臣家と共に滅亡していきます。その滅亡への過程は数多く語られています。自分が生んだ子秀頼への溺愛のあまり、政治的バランスを欠いた決定を繰り返し、滅亡への道を歩んでいったと。
 テレビでは、茶々が「母、お市の方を死に追いやった秀吉を決して許さない」と言うシーンがありました。
 その時、はっと思いました。「茶々は自分の身をもって母を死に追いやった秀吉に復讐すると誓ったのではないか。秀頼が誰の子か等は問題では無く、唯豊臣家を滅亡に導くのが彼女の生涯のミッションであった。」そう考えると彼女の採った不可解な行動も理由がわかるように思えます。
 唯一のミッションの達成の為に自分自身の生涯を賭ける。壮大な戦略を感じます。