功名が辻を見て考えた事
日曜日にNHK大河ドラマ 功名が辻を見ました。
山之内一豊は幕末に「坂本竜馬」を生む風土環境を土佐に育んだ。この事だけが、山之内一豊を歴史的に評価できる唯一の事である、と私は思っています。
山之内家は関ヶ原の戦い以前は、遠州掛川の4万石足らずの小大名でしかありませんでした。関ヶ原では徳川方に付いた為に、その褒賞として土佐24万石の大名になりました。
元々土佐は長宗我部氏の領地であり、そして独特の制度である 領民皆兵制度 一領具足 がありました。つまりは農民一人一人が我々は皆長宗我部侍であると言う意識を持っていた訳です。関ヶ原の戦いで、豊臣方に組した長宗我部は取り潰しになってしまいました。長宗我部侍は、ただの農民になってしまったのです。
そんな中、山之内家は土佐に入府します。元々4万石でしたから4万石に似合うだけの侍しかいませんでした。今度は24万石ですからそれにふさわしいだけの侍を調達しなければなりません。
本来、土佐に4万石規模で入府した後、無職になった長宗我部侍を再雇用すればよかったのですが、山之内家は長宗我部侍の抵抗を恐れて(長宗我部侍は勇猛果敢な野武士として有名であった)、24万石の陣容に合うよう侍を大阪で調達し、体制を整えて土佐に入府したのでした。そして長宗我部侍を農民として扱い、彼らの侍としての誇りを斟酌しませんでした。長宗我部侍への恐れがそのような事をさせたのかもしれません。
この事により、長宗我部侍は江戸時代を通して山之内侍に反目し、長宗我部侍(農民)のお上に対する抵抗心を長い年月をかけて醸成していきました。この醸成された気分の最も清澄の部分が坂本竜馬ではないかと思います。
歴史に「もし」はありませんが、もし長宗我部侍を現地採用していれば、山之内侍と長宗我部侍(農民)の対立は起きず、よって坂本竜馬の登場も無かったのではと思います。
話は、変わりますが今週の功名が辻は、秀吉と柴田勝家の戦いである賤ヶ岳の戦いでした。この戦いで柴田勝家は滅びるのですが、その妻であるお市の方も勝家と共に自害してしまいます。秀吉としては、お市の方は憧れの人でありいつか手に入れたい物でした。しかしお市の方は”秀吉が大嫌い”である事が良く知られています。秀吉=猿->醜い者->絶世の美女、お市としては決して受け入れることが出来ない者 と言うところでしょうか。秀吉は家臣に救出を命じますが、結果的にはお市の方の拒否に会い、三人の娘(茶々 初 江)のみが救出されました。
茶々は後年秀吉の側室となり、秀頼の生母として生き、最後には豊臣家と共に滅亡していきます。その滅亡への過程は数多く語られています。自分が生んだ子秀頼への溺愛のあまり、政治的バランスを欠いた決定を繰り返し、滅亡への道を歩んでいったと。
テレビでは、茶々が「母、お市の方を死に追いやった秀吉を決して許さない」と言うシーンがありました。
その時、はっと思いました。「茶々は自分の身をもって母を死に追いやった秀吉に復讐すると誓ったのではないか。秀頼が誰の子か等は問題では無く、唯豊臣家を滅亡に導くのが彼女の生涯のミッションであった。」そう考えると彼女の採った不可解な行動も理由がわかるように思えます。
唯一のミッションの達成の為に自分自身の生涯を賭ける。壮大な戦略を感じます。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home