月曜日, 6月 26, 2006

とあるスーパーで考えた事

 昨日、近所のスーパーへ買い物に行きました。
 お客のマナーの悪さを目の当たりに見て頭にくることばかりでした。

 通常、スーパーでの買い物は買い物カゴをカートに載せて行きますが、そのカート置き場に買い物カゴをつけたまま平気で放置する人達。場所柄ほとんどおばさん達ですが。そして、レジでカゴをレジ傍の台に載せると、カートをその場に放置するおばさん。この時ばかりは一言言いました。

私 「そこはカート置き場じゃありません」
おばさん 「あら、店の人が片付けてくれるでしょ」
私 「そう言う問題じゃないでしょ。ルール、マナーでしょ」
おばさん 無言でカートをそのままにして無視を決め込む。

 私の会計が終わり、カゴからスーパーレジ袋に詰めるためのテーブルへ。何か変だなと思いつつ袋詰めをしていて、お肉のパックから汁が出たら困るので、ビニールパックを一枚引き千切ろうとして気が付きました。無いあの薄いビニールパックがロール状に巻いてあるあのロールが。今まで、くるくると手を回して必要以上に袋を取り込んで持ち帰るおばさん達は見たことはありましたが。
 今回ほとほとなんて情けないことをするんだろうと思ってました。

 確かに袋はサービス品ですがタダでは無いと言うことが判らないのでしょうか。サービス品の袋も、置き散らかしたカート片付ける人の人件費も全て、私達が購入する品物のコストに反映されていると言うことを。
 私には、自分一人さへ良ければ他人の事等知ったことじゃ無いという考え方が顕著に現れているのではないかと思います。何だかんだと奇麗事を言っても、こんな所に本性が表れる。
 どうしてこんな人達がホリエモンや村上ファンドや福井日銀総裁を批判できるでしょうか。性根は一緒じゃないですか。こんな人達に限って、このような事は私には関係ないとか難しくて判らないとか言い訳をして、何も考えなくなる。思考停止です。
 身勝手なジジイ、身勝手なおばさん、身勝手な若者。自分さえ良ければいいのです。そんなジジイ、ババア、オジサン、オバサンに育てられた若者、子供。そして彼らがまたジジイ、ババア、オジサン、オバサンになり、講釈を垂れる。まさにネガティブスパイラルです。

水曜日, 6月 14, 2006

保護者会

娘の高校で三年生を対象とした保護者会がありました。内容はもちろん大学受験に関するものです。
そこで、気になった事が二点ありました。

1.先生方のお話の中で、「させていただく」と言う表現が幾度と無く出てくる事です。

 特に、校長の話はひどかった。内容も単なる自慢話。ありゃバカ校長だわ。

 保護者に対して丁寧さを出すために「させていただく」を使用されているのは理解できます。しかし、私は、どうしても慇懃無礼さを感じてしまいます。”保護者会を始めさせていただきます。” ではなく ”保護者会を開催いたします。” で良いではないですか。
 そもそも、「させていただく」は浄土真宗と関係がある言葉のようです。この宗教においては、「阿弥陀如来が、絶対他力 他力本願をもって人間を浄土に連れて行ってくれる。」となっているそうです。つまり、本人が望む望まないに係わらず、阿弥陀如来の力でもって浄土に行かされる。だから我々人間は、阿弥陀如来に「この現世に生かさせて頂いている」、「浄土に行かせて頂く」事に感謝して、お念仏を唱えましょう。と言う事の様です。ですから、「させていただく」は阿弥陀如来に対してのみ使用する表現だと言うことです。(元ネタは、司馬遼太郎さんの随筆。タイトルは忘れてしまった。)
よって、本来、阿弥陀如来に使う言葉を我々のような凡人に対して使用することに慇懃無礼さを感じてしまうのです。

2.先生方は団塊の世代であり、競争世代である事を実感。

 団塊の世代の特徴は、人数が他の世代と比べて圧倒的に多いという事です。人数が多いという事は何をするにしても激しい競争を伴う。と言うことになります。
良い高校に入る → 良い大学に入る → 良い会社に入る と言う流れにおいて、少しでも良い所を狙う事が競争に勝つ事なのです。
 ですから、受験指導においても、「少しでも良い大学に合格させる為の戦略、戦術」になっています。
 ある先生がお話されていましたが、今の世の中は学校生活が甘くて、社会生活が厳しい状況である。だから、学校を出た後社会人になって初めて現実の厳しさに直面しうろたえる若者が多い。しかし我々の世代は比較すれば、学校生活までが厳しく、社会生活の方が甘かったので、今の若者のようにうろたえたりはしなかったと。
 そして、今年、文学部志望の男子生徒が多数いる事に驚きを示されていました。つまりは、良い大学の文学部を出ても良い会社には入れないと言う事になると。
 団塊の世代の人達が一所懸命に働いたお陰で、日本は経済的に裕福な国になり、働かなくても食べていける世の中になりました。だから男子生徒が文学を学ぶ事が出来る。それでも食べていける国になったのです。
 このような状況では、良い高校に入る → 良い大学に入る → 良い会社に入る と言う団塊の世代のパラダイムは最早崩れているのではないでしょうか。

火曜日, 6月 13, 2006

SAMURAI BLUE は 浅葱裏?

 昨日のワールドカップサッカー 対オーストラリア戦。残念ながら完敗でしたね。どうみても緒戦からオーストラリアに押されっぱなしの様に見えました。

 ところで、日本チームのカラーはSAMURAI BLUE。鮮やかな濃い青色です。テレビで見ていた時、このSAMURAI BLUEが日差しの関係か一瞬浅葱色に見えてしまい ました。
 浅葱色とはねぎの緑色に近い部分を混ぜたような青色です。ターコイズブルーと似た色です。幕末における新選組が着ていた羽織の染め抜きもこの浅葱色でした。
この色は汚れが目立たないという理由で、江戸時代着物の裏地に利用されていました。参勤交代で江戸にやってくる江戸勤番侍が着ていた着物の裏地は総じてこの浅葱裏でした。
と言うことで浅葱裏は、「田舎者、野暮」の代名詞となり、例えば吉原に遊びに行った江戸勤番侍を野暮ったいとして、太夫(遊女)がコケにする川柳がたくさんあるそうです。
 SAMURAI BLUEが一瞬ASAGI BLUEに見えたことが、この試合の結果を暗示していたような気もしています。

それで思い出したのですが、先週ネットワーク機器の展示会であるインターロップへ行ってきました。そこで、通信機器筐体に全てこの浅葱色を用いていた弱小国産通信機器メーカーがありました。
色は体を表す?

水曜日, 6月 07, 2006

明日はインターロップへ

明日は久しぶりにインターロップへ行く予定。幕張メッセだから不便ではある。
勤め人の頃は毎日近くまで通勤していたので、軽い気持ちで出かけられたのだが。
今は、行くまでに結構気合がいる。
最近のネットワーク機器の情報収集が主かな。中堅中小企業向けネットワーク機器、サービス向けに限定して観てゆこう。

火曜日, 6月 06, 2006

プール

区民プールにて、今日は70分 1.4Km

発見 
餃子を焼く時テフロン加工のフライパンでもくっついたりする。例え油を敷いてもだ。
取り出す時、折角焼き色が付いた皮の部分がぺロッと破れるのは、結構悔しい。そこで、フライパンにクッキングシートを敷いてその上に餃子を並べれば不思議なくらいくっ付かないし、焼き色もバッチし付く。
我ながら、良い発見と思っている。

日曜日, 6月 04, 2006

2連勝

先週の日本ダービー、今週の安田記念と二連勝。
少しは運が向いてきたかな